服部彰治さんは、大通の「まちの人」として、
日々まちづくりのお仕事をしています。
もとは「外からかかわる人」だった服部さんがなぜ
大通という街に自分ごととして
かかわることになったのでしょうか。
8回の連載です。

イベント屋さん?

[ 2010/03/23更新 ]
服部大学は建築学科だったんですけど、
周りの友達は建築をやってるから、
自分が設計したものが建つわけですよ。
てく目に見えるものができあがりますよね。
服部ね?形になるでしょう。
ぼく、「仕事はまちづくりです」と同級生に言うと、
「何やってるの?」って言われるの。
「えっと・・・イベントとか?」(笑)。
てく(笑)
服部「なにお前、イベント屋さん?」って言われて。
いや、そうじゃないんだよと。

そういうのがあったの、たぶん、個人的な中に。
それが、ちょうど坂本さんの思いと含めて、
全部一緒になって、思い入れをもって
ずっと関わって仕事をするということなんですね。
面白いよね。
てくで、大通と深く関わるもう1つのきっかけが
その市民参加型のイベントをたくさん行っている
札幌都心にぎわいづくり事業ですね。
服部「にぎわい」のほうは、人と人のつながりを作る
ということがメインなんですよね。
それはもう、いろんな人との出会いがあった。
歩行者天国という空間を使って、とにかく
街なかに多くの人にきてもらう仕掛けをつくりましょうと。
もちろん、お金をかければ、それはもう
いろんなイベントを組めるんだけど、
お金をかけなくてもやれるイベントが
あるんじゃないかというのがあって。
多くの市民に参加してもらうような、
場を提供するような仕組みをつくろう、ということで
スタートして、シャワー通りでやって
そのあとさっぽろプロムナード(歩行者天国)の空間でやった。
てくいろいろやってきてますよね。
服部一時期は専門学校フェスティバルみたいなことを
やったりもしたし、アカペラもやったし。
いろんなことをやりましたね。
自分が発表する場があると、周りに声をかけて
人が来る効果があるので。
それを仕掛けようというのはありましたよね。
てくそうした経験がいまにつながっているわけですね。
服部シャワー通りの再整備事業のときは
ハード的な行政間とのことを覚え、
都心にぎわいづくりのほうでは
いわゆる道路占用許可、使用許可といった、
誰に許可を取りながらどうすればいいんだという
仕組みを覚えたんですよ。

それは、徹底的に自分でやるようにして、
すべてのイベントの道路占用許可、
使用許可は自分で全部書いて、
資料も全部僕が作って毎回のイベントも全部やっていた。
そこで身に着けていったいろいろなことが
今でも役立っているんじゃないかという気がしているんだけど。
服部 そのにぎわいづくり事業も、実は、最初の頃は
別の人がやっていたんですよ。
ぼくね、そういう、人と人をつなぐようなことを
もともとやりたかったので
その方に直談判して、やらせてほしいと立候補したの。
で、いつしか、にぎわいづくり事業を
まかせてもらうようになった。

だから、この2つのことで得た知識だとか人脈だとか
いろんなことを作っていったのが、
今の自分の大通とのかかわりであったり
今の仕事の基礎になっているような気がする。
(つづく)
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