服部彰治さんは、大通の「まちの人」として、
日々まちづくりのお仕事をしています。
もとは「外からかかわる人」だった服部さんがなぜ
大通という街に自分ごととして
かかわることになったのでしょうか。
8回の連載です。

一緒にやるということ。

[ 2010/03/26更新 ]
てくところで、服部さんはむかし「まちづくり道場」っていうのを
主宰されてましたよね。
私はたぶん、そこで初めて服部さんに会ったんですよ。
服部そうそうそう。
ぼくがね、まだ28才くらいのときですね。

仕事をしていく中で同世代の人と知り合って、
みんなで共通して思ったのが、
なんか自分の会社の中のつながりだけで、
横のつながりがないよねって。
じゃ、何かやろうと。

何をやるかといったときに勉強会をしようよと。
まずは自分たちが何をやっているのかを
知ることからはじめようよと。

みんなでやってることをA4の紙1枚にまとめて
発表しあったりとか、
その中から出てきたキーワードで
「これ面白いね」というのを実践してみようだとか。
そういうのを何年かやっていったときに
都市計画家協会でいろんな人と知り合うんですよね。
てく日本都市計画家協会には、
まちづくりをしている人たちが集まっていますね。
服部そういうことをしているうちに、
若いやつで、なんか活動してるやつがいるぞと
都市計画家協会の先生とか先輩方とかと
知り合っていくんです。

そこでいろんな人が加わってきたりして、
やっぱりこれは、それぞれ企画者を毎月変えて、
その企画したことをみんなでフォローアップしながら、
こちらから出かけていって面白い人たちをどんどん
紹介していきながら突撃していこうと。
そうして始めたのが「まちづくり道場」。
てく私が参加したのがトスカーナ地方の話をしてる人の話でした。
毎回スピーカーを変えて開催してましたよね。
服部とにかく毎月やったんだ。
とにかく毎月、1年間続けようと思って。

その1年は毎朝、「朝ミーティング」だとか言って集まって、
みんなでどうするこうするという話をしていって。
そういうので横のつながりとか、
意識を持ってやることの大切さみたいなことは
覚えたかもしれないですね。
てくなるほど。
服部そのときに一緒になって参加してくれてた
男の子がいたんだ。
男の子といっても、今はいい旦那さん、
お父さんですけど。
T君っていうんだけど、この前博多に行ったら
ばったり彼がいて。
転勤で2年間くらい博多に住んでいる。
それで、ぼくが福岡に行ってシンポジウムでしゃべる ということを聞いて、わざわざ参加してくれて、
しゃべり終わったあと彼は残っていてくれて。
「服部さんは、あの当時にしゃべってたことを
今でも実践されてるということを目の当たりにして
ぼくはうれしいです」と言われた。
ちょっとうるっときましたね。
てくわあ。
服部10何年前からこの人はぼくがやってたことを
見てきてくれてたんだなあって。
うれしい言葉でしたよ。
てくそれはうれしいですね。
服部で、本当に思うのはね、一人じゃ何にもできないんですよ。

ぼくが一人で思っていても街は変わらないです。
ぼくは、変わりたいと思っている人たちをつなげていって
そうすると変わる可能性が十分にあるけど、
ぼく一人が思ってても絶対変わらない。
それは妄想でしかない。
てくはい。
服部一人じゃ何もできないというのを痛感していて、
だから仲間とかにいてもらって、
お互いに共有できるもの、共感できるものがあったら
一緒にやっていきたいというのが、
若いときよりもいまのほうが
よほど強くなってきたような気がする。
前はなんとなく、やれるわそのぐらい!という
ちょっとトガった、アホなところがあったんだけれど。
てく私、服部さんと同い年ですけど、
うん、よくわかります!
(つづく)
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