服部彰治さんは、大通の「まちの人」として、
日々まちづくりのお仕事をしています。
もとは「外からかかわる人」だった服部さんがなぜ
大通という街に自分ごととして
かかわることになったのでしょうか。
8回の連載です。

とにかくボストンバッグひとつ持って。

[ 2010/03/30更新 ]
てくところで、服部さんはもともと東京の出身でしょう。
大学で旭川の東海大学に行かれたわけですが、
札幌にはじめて来たのはいつですか。
服部24才のときですね。
大学を卒業してから。

卒業して1年は東京に戻っていて、
工務店で現場監督見習いみたいなことをやるんですけど、
もうね、暑くてやってられなくて(笑)。
てくアハハハ(笑)
服部勤めてた会社と喧嘩したというのもあるんですけど。
北海道がいいなあ、働くなら中心地である
札幌だろうなあと思ったんです。

そのときに、今でもお世話になってる
SさんとKさんという大学の先輩を頼りに
札幌に来たんですよね。

当時、Sさんに会って、ぼくはこういうふうに思って
札幌で働きたいと話したら
何か月後かに「うちでアルバイトやるか」という電話が来て、
それでこっちきたの。
てくそれまで札幌に何か縁があったわけ
じゃないんですか。
服部全然ないですよ。
まるっきり何も無く、その一言で来た。
突然のように電話が来たんだけど、
それから一週間後には来てほしいと言われたから、
家も決められずに、一週間ホテル住まいをして。
そこで住む家を決めて、家財道具なんて全然ないから、
その会社の所長さんからお布団をもらったりして。
いろんな人から借りたりして。
てく着の身着のまま。
服部ボストンバッグ一つで来ましたからね。
てく不安はなかったですか。
服部不安はありましたよ。
てくそれほど暑いのいやだと(笑)。
服部北海道に4年間いて好きだったから、
この場所でやりたいなという、それだけで。

それで、このアルバイトだけじゃ
食べられないのよ。
だから土日は違うバイトをしなきゃいかんと思って
違うバイトをするんですよ。
それが、本社が旭川にある陶器を扱うお店なんですけど、
突然、そこで働きたいなと思って
「突然ですがすみません、ここで働かせてください!」
と当時の店長さんに言ったら、
いいよって言ってくれたんですよ。
てくどうしてまた!
服部後で聞くと「なんとなく」とは言ってたけど(笑)。

土日はそこへアルバイトに行ってたら、
そこにお客さんとして来てたのが、Hさんという人で。
東海大の共通の先生の話が出て来て、 話をしているうちに、「来るか」と。

それで、札幌に来るきっかけになった会社の
アルバイトが終わると同時に、
Hさんのいるその会社に就職するんです。

その後、そこにいた数人で新しい会社を作ろうということで
前の会社CSPTができるんです。
そこでシャワー通りやにぎわいづくりの話に
つながっていくんですよね。
てくつながるべくしてつながった、
という感じですね。
服部不思議だね。
不思議だわ。
でも自分がこうやりたいって思ったから
こうなったんですね。
てく北海道に来たいと思わなかったら
いま、大通のまちづくりに携わるということに
ならなかったわけだし。
服部そうなんですよ。

そうそう。
その当時ね、実は福岡に行くという選択肢も
1つ出ていたんですよ。
結局やめたんだけど。

不思議でしょう。
まちづくりという仕事をしていて、
おとといはね、博多のまちづくり推進協議会から、
札幌でまちづくりをがんばってるあなたに
話をしてほしいということで福岡にいたんだけど。
なんかすごく不思議な縁だなと思って。
てくそのとき福岡を選んでいたら、
逆の立場だったかもしれないですよね。
(つづく)
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