加賀城匡貴さん「スーパー違和感」を語る アーカイブ

“めあてで遊べる人”が増えたらいいですね。

-最後に、加賀城さんにとっての札幌についてお聞きしたいんですが。
「札幌にい続けることがあまり僕にとって刺激ではないんです。面白いキーワードをこないだ拾ったんですが・・小樽の温泉に行ったら、効能書きがありますよね。そこに“転地効果”という言葉が並んでいました。あちこち移動することによってよい効果がある、ということなんですけど。僕は、他の土地に行ってみたり、住んだりするほうが、札幌のこともよく見えると思うんです。
小学校時代に“めあて”ってありましたよね。朝に日直が決めて、一日の終わりに守れたかどうか発表する。“めあて”にする内容というのは、ごく当たり前の日常生活のルールです。サッカーで言えば、ボールに手でさわってはいけない“ハンド”というルール、これも学校でたとえると“めあて”のようなものだと思うんです。サッカー選手が、手をつかって試合をしてしまったら、面白くないですよね。でも手を使わないサッカーだからこそ、みんながあっと驚くような華麗な技というのも生まれてくるわけです。そういうふうに、僕は“めあてを遊んだら面白いんじゃないか”と思うんです。ところが、札幌は、なかなか“めあてを遊べる”ところではないんじゃないかと感じているんです。
スケルツォ加賀城匡貴さん
この前の札幌市長選のときに、僕は、若い人にうったえる“投票へ行こう”ポスターを非公式につくった。これは“めあてで遊ぶ”チャンスだと思ったんですよね。誰に頼まれてもいないんですけど(笑)、まあ誰にも迷惑をかけないし、作ってもいいのではないかと。カフェや雑貨店に貼ってもらえるデザインのものを作ってみたんです。
そうしたら、マスコミ各社も反応してくれて、あの日高五郎さんからも電話がかかってきて。大人が反応してくれたんですね。なんだろう?と思ったら、これは“よくぞめあてで遊んでくれた”という大人の反応だったと思うんですよ。これが記事になったりして取り上げられたということは、めあてで遊んでいる人が少なかったからでしょう。
さっき話した、毛布にくるまったおじいちゃんとか、子供用のリュックを背負っている人を見る機会が少ないのが、札幌だと思うんです。少し“変わったこと”をする人がいる風景というのが当たり前ではない、ということだと思うんですよね。まずは、
ということだと思うんですよね。」
-今回のステージでは札幌で活躍している人たちとコラボレーションしていますね。札幌はそういうネットワークを作りやすいですか。
「僕はネットワークをはりめぐらせていますから・・。札幌には、センスのいい人たちが大勢います。ネットワークのつなげかたによっては全国的にも面白いイベントができたりするはずですが、そういうところをまだまだ、札幌という街は活用していないと思います。」
-札幌の人には、そういう意味でもスケルツォのパフォーマンスを見てほしいですね。
「そうですね。札幌のみなさんに、見てほしいです。
“めあてを遊べる人”が、札幌にもっと増えたらいいですね!」

(インタビュー・写真/堤綾佳)

日常にあるものを魅力的にみせるパフォーマンス

-スケルツォのパフォーマンスで「言葉」も大事な要素ですね。
「コピーライターのようなものですね。僕らのパフォーマンスで使う映像というのはコマーシャルのようなノリで、長くても3分程度、短い場合、一言で映像が変わってしまうんです。
次々に30から40くらいの映像を流すんですけど、どれもが日常にある映像で。
皮膚科の看板ですとか、蛍光灯のヒモをパンチする人のようすであるとか。お友達の家に行くと、そこに置いておいてと言われて置かれる、荷物の集まりであるとか。ワイドショーでよく見かけるインターフォンとマイクの組み合わせだとか。スーパーの業務連絡のようすだとか。そういうのを大写しで写して。
スケルツォ
スケルツォ
スケルツォ
スケルツォ作品より
-わざわざ注目したりしないようなものですよね。
「絶対にふだんから見かけているようなものなんだけど、わざわざそれを映像にとるという人はいないですよね。
コマーシャル映像だと商品を売るためなのでその商品を魅力的に見せるためのもの。僕は、だれにも頼まれもせず自腹を切って、日常的にあるものを魅力的にみせるコマーシャルパフォーマンスをやっているんだと思いますね。
笑いといっても、ただ笑ってください!というのを見せるのではなくて、少し哲学したら面白いものがありますよと、ちょっと考えさせるものも作ってみたいし。それが結局、自分たちの周りから世界につながっているみたいなね。
よく、戦争になったときに国際情勢を語る人が出てきますが、結局そこまで想像がおよばないから、みんな身の回りを大切にしようというところに落ち着くと思うんですよ。そこだと思うんですよ。たぶん、世界的な情勢とか動きというものも、日常のものの中に縮図としてみることができる。日常のもので、ひょっとしたら世界で起こっているものを語ることができるんじゃないかと思っているんですよね。 」
-縮図として伝えたいメッセージがあるのですか。
「そうですね。とんちというのは後で利かせるんですけどね。ひらめき先行で。例えば野球場のマウンド。あの山は登山してみるとどうなるんだろうとか(笑)。実際にマウンドを“登山”してもらって壮大な音楽に実況中継のナレーションを入れるんです(笑)。とてもばかばかしいんですけど、でもそこから、日常の中にある越えなければならない山に思いが行く、というように、見ている人が自分が重ね合わせられるものに行き着いていくんですね。
どうやったらそういう作品になるのかというのは、たぶん身体で覚えたことだと思うんですけどね。日常のどのものをいじっても、どこか世界の縮図につながるんじゃないかと思っていますから。たとえどんなおバカな映像を撮ったとしても、これは何かに喩えられる!と思ってしまうんです。だから、ちょっと哲学するのが、ものすごく面白い。 」

(つづく)

スーパー違和感。

スケルツォ加賀城匡貴さん-さて、ベイカー・ブラザーズとの今回の公演は、どのようなものになりそうでしょうか。
「僕、自分で言うのもなんですけど、2004年の天木さん、ベイカー・ブラザーズ以降、“プチ達観”しはじめてる。完全な達観では全然なく(笑)。
2004年度以降は、自分と違うテイストをわざと作品に盛り込んだり、プログラムに入れたりしてきたんです。 たとえば冒険家がグリーンランドを冒険するという映像を15分間、自分の作品の合間に見せたりとか。そういう公演の流れをつくってみたり、ステージ美術をやったことがない家具デザイナーとか建築家に協力してもらって今回はステージセットをつくってもらうんですが、そういう方たちに入ってもらうとか。今回は11人のジャズのフルバンドがスケルツォの映像に音楽をつけていくし。だから僕らも入れて、総勢17名のナレーターと演奏家たちがスケルツォの映像に効果をつけていくんです。」
-二本立ての組み合わせとしても異質な組み合わせだし、スケルツォ自身の公演の中でも「え?」というのを盛り込むと。
「え?という感じを盛り込むというのが、11人編成のバンドかもしれないし。生演奏を盛り込むというのは、スケルツォの中でも異質ですね。また、会場のZepp Sapporo というキャパシティというのも全く異質なものだし。
今回のキーワードが“スーパー違和感”です。違和感を越えるという。それがさっき言った“プチ達観”というか。自分の中では成熟したスタイルというのがあって、全く異質なものを自分のステージパフォーマンスに呼び込む。その結果どうなるのか、はじめるまでわからないという不安定要素を1個入れておく。そうすると絶対に意味が出てくるんです。」
スケルツォ加賀城匡貴さん
-「絶対に」!(笑)
「絶対に。見に来てくれる人にも、おのおのの中でも、ものの見方はあると思いますし、パフォーマンスしている自分の中でも、きっちり “あ、やるべくしてやったんだな” というのが見えてきます。
たとえば僕が海外に行ったときに、毛布にくるまって自転車を運転したおじいちゃんがいたんですね。あるときに子ども用のリュックサックを背負って通勤しているサラリーマンがいたんです。その両方のシチュエーションとも、ぼくはプッと笑ってしまったんですよね。でもその町に住んでいるひとたちは、ただ普段の光景としてそれを見ていたんです。だれも指をさして笑うような空気ではなかった。
それはなんでだろうと考えたら、もしかするとモノの本質的な見方にかえってみると、毛布にくるまっているのはただ風から身を守るため。子供用のリュックも、その小ささが便利だから。
そう見てみると、最初もっていた“違和感”が、飛んでしまうんです。パッと見、われわれの価値観からすると違和感があって笑いを誘ってしまうものでも、ちょっと視点をずらすことによって使って当たり前のものというか、正しく使っているものとしてとらえることができるんです。そうすると、ベイカー・ブラザーズもスケルツォも Zepp Sapporo も、全然異質なものの集まりですが、なんかこう浮かび上がってくる根っこの部分がありそうなんです。
それが“スーパー違和感”で、違和感を超えると本質的なものに気づくことができるんじゃないかと。
もちろん、テキトーな人選をやっているわけではないので、自信をもって見せることのできる音楽とパフォーマンスだからこそ、組み合わせられるんです。2004年以降のゲスト出演にしても作品を公開するにしても、自信をもって組み合わすことができるから、後から見ると意味のある組み合わせができている。その結果どうなるかは、まだ見えない状態でやるんですけどね。」
-2004年以降異質なものとの組み合わせをあえて取り入れてきたことで、加賀城さんの中での確信が育ってきたんですね。
「そうですね。でもさすがに、毎度毎度、予想できないので不安は不安ですけどね。でも、その不安定要素が、パフォーマンスする側にとって面白さであるし、見てくれるみなさんにとっても面白いことなんじゃないかと思います。」
スケルツォ加賀城匡貴さん
-今回“スーパー違和感”というキーワードが出てきたわけですけれども、そもそもスケルツォのステージというのは、音楽、ナレーション、映像と、それぞれ違うものが組み合わさってできていますよね。成り立ちそのものに、組み合わせの面白さが特長としてありますよね。
「はい。でもこのスタイルが、広がりにくさでもあるんですけどね。 誰もが一目瞭然というわけではないですよね。説明を聞くだけで、ああ面白そうと思わせることができるのであれば、もうちょっとマスにうったえていたと思います。ところが未だに、メディアに出ても説明に時間を必要とする。“活弁士のようなナレーターがいて、映像があって音楽も生で出すんです、これがスタイルで” というところから始まるので。」
-バンドです、とか一言でわかる言い方がない。
「ジャズやってます、とかね。そういう感じでは言えない。でもそこが面白いところでもあって“スーパー違和感”を自分たちに課しているんですよね。未だにメンバーに怒られますもんね、スケルツォのことを説明したいんだけど、なんて説明したらいいのって(笑)。そこもまた、してやったりだと思うんですけどね。」

(つづく)

意外なところから、出発する。

スケルツォ加賀城匡貴さん-“これとこれをつなげたら面白い”という素材が直感で浮かんで、それが“とんち”に行き着く。そのプロセスについてもう少しお聞きしたいです。
「2004年のことがシンボル的なのでそのときの話をすると、元外務官僚の天木直人さんが、イラクに攻撃をしかけるときに日本人の外交官の中でただ一人だけ反対を表明した人で、外務省を追われたということをテレビを見て知ったんです。僕はそのときのニュース映像をみて言いようのない怒りと言うか、腑に落ちないところがあって。僕自身イラクとか海外のことはよくわかっていなかったのだけど、おかしいと思えることには素直におかしいと言っていいんじゃないかと、そのとき思ったんですよね。 」
「で、何を街の人たちがやっていたかというと、街頭でアンケートをとったり、署名を集めたり、デモ行進をしたり、想像しうる範囲のことしかやっていなかったんですよね。戦争当時の赤紙を配ったりとか。ニュース番組では電話アンケートをとって、あなたはイラク派遣に賛成ですか、反対ですかとアンケートとったり。もっと全然違う視点から物事をとらえられないかなと思っていたら、ちょうど天木さんをタイムリーに見た。」
「そこで漠然と浮かんだのが、自分と世代が倍も離れた人と話をしたら面白いんじゃないかということなんです。世代が違う平和感というのは、すなわちユーモア感にもつながってくるんじゃないかと。ただ戦争反対と訴えるだめだけの会というのではなくて、個性というか感受性の違いというか、年の差が離れた大人とのトークというのをやってみたかった。さっき言った「素材と素材」が見つかったんですよね、「スケルツォと天木さん」という。でもそれがくっついたことでどうなるのかというのは、その時点では全然わからないんです。」
-やってみてどうでしたか。
「予想外の手ごたえでしたね。みんなたぶん、スタート地点というのをあまり意識しないというか、戦争の話題ひとつ取り上げるにしても決まったパターンがあって、そのうえで議論をしたり運動をしたりする。でも、新しく自分がスタート地点を決めちゃってもいいんだ、全然意外なところから出発して、みんなと同じゴールを走っていくと、まったくユニークなものができあがるんだなと思った。
一見するとアートイベントで、そこに引き込まれて見に行くと、イラク攻撃の話であったりとか、僕とのユーモア勝負じゃないけど天木さんとのトークショーがあったりとか。それで新鮮な視点を見せられたというのが、アンケートを見ても思ったし、社会的な反応を見ても思いましたね。」
スケルツォ加賀城匡貴さん-たぶん、最初の直感の中でわかっているんですよね。
「おそらく身体がおぼえているというか、“行っていいんだよ”というゴーサインが出るんだと思います。行ったあとで、その天木さんの場合だと、“出かけて見るニュース”というキーワードがポンと出てきたんです。天木さんにオファーした当時はそんなことは頭の中で固まっていなくて、やる直前になって浮かんだんですね。ブラウン管を通して見るものではなくて、自分でリアルに足を運んで見たものが、“自分のニュース”になる。
一般にテレビのニュース番組として見ると、頭が固くなってしまうんですよ。ニュースというのは“news”でしょ。新しいものたち。新しい情報。それはつまり、自分が日々感じるものがニュースだから。別にテレビで見るものがニュースじゃないんです。そこに気がつきましたね。」
-ショーを見られた皆さんは、お決まりの言葉で説明されても自分とは離れたものとしてしか感じられないことが、“スケルツォと天木さん”という組み合わせによって、自分のニュースとして体験できたのでしょうね。
「そうですね。今の自分の活動をもっとも象徴的に表しているのが、天木さんとのイベントだったんじゃないかと思います。
かといって、社会的なイベントをやっているわけではないし。とりようによってはそう見る人もいるし、笑いだと思って単純に楽しんでいただけるお客さんがほとんどだし。」
*2枚目写真:by Junya Sakaguchi

「違和感」を超えると、違和感ではなくなるんです。

「とんち」の面白さに気がついたんです

-ゼンザリングという言葉が気になります。「前座する」から作った造語ということですが、これはベイカー・ブラザーズへのリスペクトという意味もあるのですか?
「それも込みですね。ベイカー・ブラザーズと出会った当時の僕らというのは、天木直人さん(元レバノン大使)との講演会をプロデュースしたりと、全然違う分野の人とつながりはじめた時期だったんです。ベイカー・ブラザーズのメンバーのクリスは僕がイギリスに行っていた頃の友人で、彼らがついにメジャーデビューして初来日ツアーをするときに札幌で何か一緒にやれないかという話があったので、これも全然ジャンルが違うけどつながってみると面白そうだというのがあった。これがまずゼンザリングの始まりなんです。」

-面白そうだから一緒に何かしよう、と
「僕は、まず直感でひらめいたことを行動してから意味づけを考えるほうなんです。自分がベイカー・ブラザーズと公演することを考えたときに浮かんだのが、ドリフターズとビートルズのエピソードで。ビートルズが日本公演を行ったとき、他にも何組か前座をやったバンドがいたみたいですけど、ドリフターズの前座が今でも伝説的に語り継がれているというのを知っていたので、これはドリフをモチーフにしたら面白いなと。ドリフは別にコメディーをしたわけではないんですけどね。でも僕は、そう思って笑いをやっている自分たちをドリフに投影していた。スケルツォとベイカーブラザーズ。それも、実は上演時間は全く同じなんだけれども、ゼンザリングとしてやってみるというのがミソです。
スケルツォ加賀城匡貴さん一休さんじゃないけれど、とんちの面白さに気がついて。一休さんは “ひらめいた!” というところから行動に移るんですよね。でも僕の場合は、なんとなく直感で “やってみたらいいんじゃないか” というところで動いてみて、それからとんちを披露する。だから、一休さんよりハードルを高くしてるんです。理屈ができる前に、面白そうだと思ったことにすぐ反応して行動してしまうんですよ。」
-“とんち”がひらめく前に、直感で動いてしまうんですね。
「意味づけというか、自分の中での “腑に落ちる点”というか、そういう点を探しますね。ああそういうことだったんだ、だから行動したんだというのに、後で気がつく。はじめは素材が浮かぶんです。この素材とこの素材をくっつけたら面白いんじゃないかということが。」

(つづく)