OYOYO
OYOYOまち×アートセンターさっぽろのいろいろなイベントに行ったレポートです。

OYOYO美術部「本のコトコト煮」出展者のひとり、

OYOYO美術部が11月に開催した「本のコトコト煮」という展覧会。
その一角に、「OYOYO本舗」という、このスペースに集う人たちが
家の本棚から10冊を持ち出して並べる本棚コーナーがありました。

文豪風に写真を撮って「文豪の本棚」風に並べようよ、ということで
出展者のみなさんが文豪風にカッコよく写真に収まっています。
ほら!

この、OYOYO部員の横山直美さんに
この本棚についてお話をお聞きました。

--どういうテーマでこの本を持ってこられたのですか。

このイベントのDMに書かれた言葉で「あなたを形作ったものに本はありますか」というのがあって。それを考えた時に、本は自分を作った部品というか欠片のようなものだと思い、引っ張り出してきたら、こういうふうになって。その中の一部を持ってきました。
自分が子どもの頃から明らかに影響があったり、影響してるかどうかわからないけど今でも心の中に残っている、自分にとっての大事な本たちです。

--子どもの頃に読んだような懐かしい本が並んでいますね。

自分が児童文学を勉強しているのもあります。児童文学を書くほうではなく、あくまで読む側の人。読んでこの中の世界に行きたい。わたしにとってこの本は、開いたら、今でもすぐに「そっち」に行ってしまうようなものですね。

わたしの中では「本って宇宙みたい」と思っていて。
こうして置いているとただの物体というか、物質じゃない?でもこの中に「入ってる」んですよね、世界が。ムーミンだったらムーミンの人たちがこの中にいるわけ。もちろん、わたしの体はここにあるしSFのように本当に中に入るわけじゃないけれど、魂は中に入ってしまう。自分はここに立ちながら、こっちにもこっちに行ける。
それは比喩的ではなくて、実際の感覚としてあるんです。
最近、本ってそうなのかなって、今考え中です。
入っている感じにさせてくれるのが、自分にとって良い本。
良い本って言って、いいのかな。

--本だけでなく、きれいなノートにそれぞれの本と自分との関わりについて手書きのコメントを書いていますね。このノート自体が、横山さんの作品のようです。

本を並べるだけじゃアレかしらと思って、こういうのを書いてみました。全部は書けなかったんだけど。もう無理だなって。途中で読みたくなっちゃって(笑)。

--先程中を拝見したとき、安房直子さんの「きつねの窓」という作品があって、国語の教科書に載っていたのを、今まで全然思い出さなかったのに、思い出しました。

これ、教科書で読んだんですよね、最初。小学校6年生くらいだったと思う。この辺は、いつくらいだったかな、社会人になってしばらくの間集めてたのかな。自分で買うようになって、すごくハマっていたのだけど、忘れ去っていて全然読まなかった。でも、今回こういうふうに「自分を作ったもの設定」で考えてみるんだったら、外せない、と思って。結構、力入ってしまいました。

--小学校の教科書で読んだ作品って、大人になってから思い出すと、もう一度読んでみたくなるものがあるなあと思いました。

わたしは、小学校のとき、今やっている単元よりも違うのを読みたいと思って、授業中も同じ教科書の後ろほうをめくって読んでいて、先生に指されると、いまどこにいるかわからなくなってる(笑)。
これ(ノート)を書いてたらそういうのがものすごい勢いで出てきてしまって。「わたし、いま小学校6年生」とか「わたし、いま中学校1年生」とか。その時代に戻ります。段ボールを開ける作業みたい。よくちゃんとしまわれていたな、という感じ。

--当時のことを思い出すんですか。

思い出す。日記って書かないんだけど、本が日記とかアルバムみたい。開いて読んでいると、思い出があった本は、当時好きだった歌や友達とした会話とかが出てきたり。
たとえばこれ、新井素子って、一人称を画期的に使いだしたSF作家なんだけど。これを書いてたら、中学校3年生のときのことをすごい思い出しちゃって。みんなで本を貸し借りしたりしゃべってた放課後の風景がぶわあっときちゃって。本なんだけど、私にとってはアルバムとか日記でもある、というのを集めたら、こんな感じになりました。

--教科書以外のものはどういうものがありますか。

例えば「若草物語」。教訓的なところとか。本の中に描かれている細かな描写がよくて、「ディテール欲」をけっこう満たしてくれる。今になってみると、ああ、それも好きだった要因かなと思いました。

横山さん、ありがとうございました。
みなさんを形作った本って、どんな本ですか?