映画「ALWAYS-三丁目の夕日」の時代、
札幌都心の4丁目交差点近くの通りには
キャッチボールをする子どもたちの声が響いていた----。
あの時代、中央創成小学校に通う子どもたちは
どんな学校生活を送っていたのでしょうか。
さっぽろシャワー通り商店街会長の坂本晴則さんに、
小学校時代のお話をお聞きしました。

(13)粋なPTAとサーカスと

[2010/05/14更新]
坂本お祭りの屋台が、その頃まだここでやってたんだ。
いま中島公園に出てる屋台がね。
南4条を渡ったかな、7条まで行ったかな。
ずうっと露店が並んで。
てくいいなあ。
坂本今みたいに舗装された道路じゃなくて
まだまだ土だったと思うんだけど。
てくへえ。
坂本100円か200円か握って
ずうっと歩いていくんだけど、
これがまた遠いんだ(笑)。
てく大イベントですよね。
坂本そうそう、創成川にね、板をひいて
サーカス小屋が建ったんだよ。
てく今考えたらすごいことですよね!
坂本象が飛んだりはねたりするんだよね。
てくうわあ。
坂本観客席から下に川が流れてるのが見えるんだよ。
てくひゃあ!
坂本板の隙間から。
てくすごく盛り上がったんでしょうね。
坂本八木サーカスというのがあって、火事があってね。
ライオンが焼け死んだんだったかな。
そのときに、中央創成小学校の
誰が言い出したかわからないけど、
そのサーカスが気の毒だということで募金をして、
児童が募金した形になって寄付したんだよね、
そのサーカスにね。
するとそのサーカスが感激して、
小学校全体を、無料招待さ!
てくおお!すばらしい!
坂本ぼくが小学校5年かな、6年かな。
そのとき初めてサーカスを見たんだ。
てく全校生徒で見に行ったんですか。
坂本何回かに分けてね。
てく粋なことしますね!
そんな街なかの教育熱心で粋なPTAのもとで
学校に通われていたのですね。

それにしても、ガラスの黒板って
とても高価だったんでしょうねえ。
坂本特注だったんだろうねえ。
てく他では聞かないですもんね。
坂本それこそ、中学校に行って黒板を見てね、
「なんだ、木か」って(笑)。
てくいえいえ、木の黒板のほうが普通ですから(笑)。

(これで連載はおしまいです。ありがとうございました)
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