映画「ALWAYS-三丁目の夕日」の時代、
札幌都心の4丁目交差点近くの通りには
キャッチボールをする子どもたちの声が響いていた----。
あの時代、中央創成小学校に通う子どもたちは
どんな学校生活を送っていたのでしょうか。
さっぽろシャワー通り商店街会長の坂本晴則さんに、
小学校時代のお話をお聞きしました。

(1)“ここ”に住んでたんだよ

[2009/05/25更新]
てくてく 坂本さんは、現在の札幌市役所の場所に建っていた
かつての中央創成小学校のご出身です。
入学されたのはいつ頃なのですか。
坂本 昭和31年に入学して、卒業したのが昭和37年だね。
てくてく ちょうど、映画「ALWAYS-三丁目の夕日」の頃なのですね。
坂本そうそう、あの時代だね。
あの映画は、東京タワーが建ちかけている頃でしょう。
てくてくというと、さっぽろテレビ塔はもう建っている頃ですね。
坂本 そうだね。
テレビ塔は昭和32年にできてるからね。
てくてく当時、そういうのを目の当たりにして
すごくわくわくしませんでしたか。
坂本 うーん、建てているときの記憶は
あまりないんだよね。

これ、持ってきたんだ。
てくてく卒業アルバムですね!ありがとうございます。
建物の色が、ピンク。モダンですね。
坂本そう。
ピンクのね、学校(笑)。
鉄筋三階建て。
これ(写真の手前側)が北一条通りね。
大通には面していなかったの。
いまの市役所の大通側には、なんか別の建物がたってたな。
こちら側が西2丁目通りね。
てくてく北東角にあったんですね。
南西側にグラウンドがあって。
坂本グラウンドねえ。
当時はそうとう広いと思ったんだけどなあ。
坂本創立が、校歌にあるように明治4年なんだよ。
てくてく古いですね。
坂本当初は資生館という名前の学校だったの。
そのあと昭和23年に中央創成小学校になったんだ。
で、昭和40年にいまの資生館小学校がある場所に、
西創成小学校と統廃合で創成小学校になった。
だから、昭和40年で中央創成小学校は廃校になるんだよね。

その創成小学校も、
大通小学校、曙小学校、豊水小学校と合併して、
現在の資生館小学校になるんだよね。
てくてくそれにしても、中央創成小学校は
いまにしてみると都心の本当にど真ん中に
あったわけですけれども。
坂本さんはその学区の小学生なので、
お住まいも近かったわけですよね。
坂本うん。
ここ!
てくてく“ここ”って・・・
ここ(シャワー通りに面している北宝ビル)ですか。
坂本そう、ここ(笑)。
ここに住んでたの。
(つづく)
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