映画「ALWAYS-三丁目の夕日」の時代、
札幌都心の4丁目交差点近くの通りには
キャッチボールをする子どもたちの声が響いていた----。
あの時代、中央創成小学校に通う子どもたちは
どんな学校生活を送っていたのでしょうか。
さっぽろシャワー通り商店街会長の坂本晴則さんに、
小学校時代のお話をお聞きしました。

(3)ウチの前の電停から定山渓にも行きました

[2009/06/15更新]
てくてく(おそるおそる)「釘刺し」って・・・なんですか。
坂本釘刺しってねえ。
このくらいの釘を、ぼーん!と地面に刺して
相手が次また刺すでしょ、
それを飛び越えて刺してね。
線でつないでいって、相手の釘を囲むようにしていくの。

今やってよって言われても、やらないけどね。
てくてくえ・・・それは
坂本危険な遊びです。(笑)
一同(笑)
てくてく危険ですねえ。親はやらせないですよね。
坂本親の前ではやらない遊びです(笑)。

写真:札幌市写真ライブラリー所蔵
坂本当時、路面電車がね、
今の市民ギャラリーのところまで行ってたの。
(注:1971年に廃止された苗穂線)

札幌駅のところで西5丁目まで行くと、
陸橋になっていた。
市電がそこを越えてね、ずっと北に行って
最終的には新琴似まで行ったの。
(注:1974年廃止された鉄北線)
てくてくすごく遠くまで行っていたんですね。
坂本今は山鼻線だけが残ってるよね。
南4条まで行ってループしていて、
ぐるっと戻ってきた。
今はループはしなくなったけどね。
てくてくはい。
写真:札幌市写真ライブラリー所蔵
坂本で、こっち方面の路線で行くと
豊平駅前、じょうてつの本社に行きます。
(注:1971年に廃止された豊平線)
そこから定山渓鉄道というのが出ていて!
昔は電車が走っていました。

ちょうどウチの前の停留所から
それに乗ってね、
定山渓に連れて行かれたね。

それだけ電車があったので。
なんでも電車でいけました。
てくてくある意味では、今よりも
交通の便がいいですよね。
坂本うーん。気持ち的には、
地上だから今よりは楽なんだろうね。

ただ、スピードは遅いだろうけど。
てくてくゆっくりなんですね。
坂本当時は車がなかったから。
北一条通りの写真がこれだからね!(笑)
てくてく(笑)

車のないときに撮影しているのでしょうけれど、
それにしても、今とは
だいぶ車の交通量が少なかったんでしょうね。
坂本うん。
それで、車が少ないのをいいことに、
危険な遊びをしてたんだ(笑)。
(ここで危険な遊びの話)
てくてくわーーー!!

うーん。これは・・・
掲載できないですねえ(笑)。
坂本(笑)

(つづく)
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