てくてくしてきました。
札幌都心のイベント、出来事などに、「てくてく」おでかけしてきたレポートです。

人工的な「まち」の中にぐいぐいと入り込んでくる自然ウォッチング。

今月いっぱい、北一条通では「自転車走行空間の社会実験」
とやらが実施されていて、
青色のレーンが国道を走っています。

あるお昼どき、ぷらぷらとこのレーンのそばの歩道を歩いて、
ふと、植物って、ほんと自由だなー、と思いました。

植物には足がないわけですから、いったん生えると
その場所から移動することなんかできないので
「思うがままに移動したり活動できる」という自由はないわけですけど。

わたしたち人間は、特に札幌の中心部なんかだと、
道という方眼線で区切られていて、
活動できるのもその区切りにしばられているわけでしょう。

方眼の中の四角には、入れるところと入れないところがあって、
上下方向には、階段やエレベーターで移動して
床のある高さのところで生活してる。

あと、公共空間と、私の空間の区切りにもしばられている。

建物と建物の間も「私有地」なので、
そこを通り抜けて移動するわけにはいかないし、
公共施設のこちら側から向こう側に移動するにしても、
建物の壁をのぼって外壁から飛び越えるわけにはいかないので、
建物の中をとおっていくか、道路をとおって迂回するしかない。

それが、私たち人間。

でも考えてみると、人間がこんなふうに空間にしばられるようになったのも、
長い人類の歴史からすると、つい最近のことなのかもしれないですよね。

ほぼすべての土地が私有地と公有地になって、
都会では建造物で埋め尽くされるようになってからのことなんでしょうね。

いっぽう、植物はすごい。
いやー、植物はすごいですよ。よくそう思います。

種は、とべるならどこへでもとぶ。
ちょっとした隙間みたいなところにも根付く。
場合によっては建物に生えちゃうこともあるし、
道路の割れ目からニョッキリ生えてくることもあるし。

北一条通に話をもどすと、通り沿いの歩道には、
植栽した植物なのか、それとも、縦横無尽に種がとびまわって生えてきたのか
わからないような自然がいっぱいです。

たとえば、これ。見てみてください。

これは、もともと人が植えた植物だと思う。
名前はわからないけど、こいつはそういう体裁をしていますね。

で、その脇に視線をうつすと、ですね・・・。

ほんわかとまばらに生えている緑色の植物は、
明らかにどこかからとんできた種から生えた草でしょう。

いわゆる「雑草」です。

ほら。

だれかが、「これを植えるぜ!」とプランニングして植えることはないと思うんですよ。
このタンポポだかなんだかには失礼かもしれませんが。

まあ、この辺まではわかるんですよね。
わざわざ植栽したものと、そうではないものとの区別が。

では、これはどうでしょう。


私が好きな、「やまごぼう」という植物です。
けっこう繁殖力があるらしく、いろんなところに
自由に生えているように見受けられますが、
紫の実がたわわに垂れ下がっているようすがかわいらしくて、
庭に植えられていたりします。

あと、これも。

種になった「たちあおい」ですよね?
これも、ちょっとしたスペースによく咲いていて
札幌の古い住宅街の懐かしい風景には、たちあおいがたくさん咲いていました。
あちこちに植えられたのが、植えていないところにまで
調子にのってどんどん増えていく、ということはありますよね。

こんな「木」も。

まだ小さいですが、おそらくセンノキではないですかね。
別名ハリギリという名の通り、若いうちは幹に大きなトゲがいっぱいついてます。

この生えているロケーションが、明らかに、「ここに植えました!」
という場所ではないですよねー・・・。

通りの反対側には、センノキの大木が生えているので
種がとんでここに根付いたと容易に想像できます。

これらの植物は、わざわざ植える人もいるけど、
自由な繁殖力で「ぐいぐいと」人工のコーナーに入り込んできている感じです。

あと、こういうのもあります。

木は、街路樹のニセアカシアなんだけど、
この幹にびっしりとまとわりついている蔦のような植物は?
あとからこうなったのか、最初から意図してこうなったのかが、
はて、全然わからない。

このへんはどうでしょう。

どこからどこまでが、「植えた」ものなのか。「生えた」ものなのか。
うーーーん。まったくわからない。

私は、この人工の空間にぐいぐいっと入り込んでくる自然を、
面白く眺めています。
人工と自然の境目がわからなくなるので、
ハッとさせられる、というか。

細かく手が入れられている「きちんとした」空間というのも、
見ていて気持ちのいいものですが、
おそらく「そこまでゆきとどかない」ことから生まれる
このぼやっとした領域は、「こういう世界もありまっせ!」と、
できあがった道や建物といった空間の中でしか生活していない私に、
教えてくれている気がする。

刈っても、踏んでも、空間的・時間的「すき」があれば生えてくる。
私たちがプランニングしたり意図してつくりあげる空間とは別の常識で、
自然はそれぞれに忙しく生きているんだなあ。

・・・って、まだまだ追求しどころがてんこ盛りの余韻を残しつつ、
昼休みを終えました。